
おおらかに子供を見守ることの難しさ。子供を叱らずに伸ばすことの出来る母親になろう。
子を想う親ならだれでもその子の将来を心配し、
先回りして苦労しない生活をさせる道筋を築いてあげたいと思ってしまうものです。
しかし、それを心配するあまり、子供を知らず知らずにがんじがらめにし、
その子の良いところまで潰してしまっては、元も子もないようです。
親が知っている世界というものには限界があるし、人によって知っている世界の広さも違います。
親がもし狭い世界しか知らずに、「この道があなたにとって一番良い道なのよ。」
とその子の適性もつかめぬまま、半強制的な育て方をすることは大変危険なことです。
親がもし、大企業に就職することが一番の幸せと考えているのなら、
学歴を積んで、少しでも良い高校、大学へと就職し安定した企業に就職できるように舵取りをするでしょう。
親が幸を掴む選択岐をたくさん知っているのなら、その子の可能性を信じ、
おおらかに見守ってあげることも可能になるのではないでしょうか。
私も受験学年の子供を持つ親になり、子供の将来について心配している親の一人です。
私は田舎育ちで、親も平凡なサラリーマン。
学生時代知っている職業といえば、指で数えられるくらいの代表的なものだけでした。
先生、会社員、プログラマー、医者、保育士、銀行員、公務員などです。
インターネット環境も普及していなかった時代、自分で将来の仕事を知るすべも知りません。
親に「この仕事がいいんじゃない?」などと促され、
自分の適正と照らし合わせながら将来の進路や就職先を決め、
今があるわけですが、今にして思えば世の中はもっと広いもので、
自分に適した職業や進路はいくらでも存在するということでした。
あの時、この仕事を知っていたら、人生変わっていたかもしれないな・・・。
そう思うこともあるものです。
親が無知であることは子供への最大の罪である。
無知であるにもかかわらず、親の固定観念を押し付けてその子の可能性を潰してしまうことは犯罪そのものである。
もっと親が世の中を知り、親自身が子供の可能性を信じてあげられるようになれば、
いくらでもおおらかに育児をすることはできるのです。
偏差値が飛び抜けて高い大学ではないにもかかわらず、専門性を身につけられる大学はいくらでもあるし、
工業高校などの就職は大企業からの引き合いも多いそうです。
つまり、人生どこからでもやる気と、前向きに努力する人間であれば
生活をしていくための能力や学力を身につけることはいつでもできるということではないでしょうか。
受験戦争のレールにのせ、友達と遊ぶ機会も奪われ、親のいわれるがままに行動することを
強制されて育った子供が、本当の意味での生きる力を持てるようになるのかは疑問です。
もちろん、勉学と生きる力を両立できるお子さんもたくさんいることは間違いないことだと思います。
しかし、勉強やコツコツ努力することが苦手なお子さんがたくさんいるのも事実です。
そんな時、親がその子に対し「どうしてできないの!」と非難したならば、
その子は「自分はできない子なんだ・・・。」と思い込み、
将来への生きる力のエネルギーはどんどんなくなってしまうのです。
子供を伸ばそうと思ってした行為が、親自身の手によって大きく奪われることになりかねません。
コツコツ努力することは苦手でも、その子にしかできないことがきっとあるはずですし、
その可能性はいつ芽生えるかもわかりません。
しかし、せっかくその可能性が芽生えた時に、生きる力を奪われた子供は
それすら生かせない子供になってしまうのです。
子供の生きる力を奪う親にだけはならないように注意しながら、
その子にしかない可能性を信じ見守ってあげる力。
これは、とても難しいことですが、親自身が世の中を知り、勉強することによって
身につけられるように思います。
まずは、子供に勉強を強いる前に、自分が勉強することを心がけたいですね。
人間は千差万別、親にもわからない適性や生き方がたくさんある。
幸せを掴む方法もたくさんある。
このことを親が信じられるのであれば、おおらかに子育てをしていけるのではないかと思います。
おおらかな気持ちで、楽しく育児をしていきましょう・・・・。きっとお互い笑顔あふれる生活がおくれるはずです。

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