
生きるパワーのある人とパワーのない人、どうしてその違いが生じるのでしょうか。
私は以前から、精神的にも肉体的にもパワー不足に悩んでいました。
私の母はもうすぐ67歳になろうとしています。
しかし、私と比べると何十倍もパワーのある人です。
精神的にも、肉体的にも自分とは比べ物になりません。
今でもゴルフ場で朝早くから仕事をし、家に帰れば家族のために手抜きなしの食事を作る。
休日には、娘である私のところにきて、孫の面倒を見たり、掃除をしてくれたり・・・。
それに比べて、自分は母に比べれば20歳以上も若いのに、仕事だけで精一杯。
家事も育児も中途半端な毎日です。
そんな母親を見ていて、ずっと不思議だったのは、自分のパワー不足は体質からなのか、
母親は特別パワーのある人間なんだろうか、ということでした。
最近ある本を読んで気づいたことがあります。
「~しなければならない。」思考の人は、自分自身を傷つけ、身も心もパワーを失ってゆくということです。
自分がしたいこと。心から欲することを無意識に押し殺し、「○○すべき、○○でなければならない」
といった考えにとらわれた生き方。
努力することが美徳であると教えられ、頑張ることが正しいことだと信じて疑わない人。
これは、ある意味危険な生き方だと言えるのではないでしょうか。
人間の本来のあるべき姿は、本能のままに生きること。
自分がしたいことをしているときが、一番パワーを発揮できることだと思います。
親が「しなければならない思考」に縛られ、失速状態に陥ると、
子供までその悪影響を受けてしまいます。
今までの自分を省みた時に思うことは、常に朝から晩まで「~しなければ」思考に陥っていたことです。
子供にあれもさせたい。これもさせたい。それには、こうさせなければ・・・・。
あせりばかりが募り、子供自身の心も自分自身の本心も見失うような日々。
もうすこし、寛容に物事をとらえ、親のパワフルなところを見せてあげることが、
一番の教育なんだと最近になって気づきました。
それには、自分自身の欲を捨てることも大切なこと。
すべてをうまくこなそうとするから無理が起きる。
自分が本当に望むこと以外は、諦め妥協することも大切なんだな。そう感じるようにもなりました。
世の中をたくさん見せて、経験させて、子供の見本となれる親になる。
どんなにお金をかけて教育をさせても、親がしっかりしていなければなんにもなりません。
親だから我慢しなくちゃ。ではなく、親だから好きなことをする。
そんな生き方が、パワフルに生きる秘訣なのかもしれませんね。

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