
育児をしていて、辛い、苦しい、どうして私ばかり・・・。
そんなふうに感じることってありますよね。
いつも育児が苦しいとか辛いと思いながら子供と接していたら、子供たちも自分が愛されているとか大切な存在だと感じられることが少なくなってしまうかもしれません。
私はそんなときあることを思い出します。
すると、育児の辛さとか苦しみとかが一瞬で消えてなくなるどころか、心が幸せな気持ちでいっぱいになります。
今、こうして育児をできることは当たり前じゃないんだ!と思えた3つの出来事
私は10代の頃に看護婦さんだった叔母をを亡くした経験があります。
叔母には3人のまだ幼い男の子がいました。
毎日、病院での仕事で忙しく夜勤、家に帰れば嫁として忙しく毎日介護や子供の世話をしていたのです。
自分の子供たちは、どうしてもいつも一緒に過ごしているお姑さんになつき、母親である彼女はいつも寂しい思いをしていたようでした。
そんな中、末期の胃がん宣告・・・。
看護婦さんという医療の最前線にいながらも、自分自身の身体と心に無理を重ねた結果のことでした。
彼女はなくなる前に、いつもベッドの中で嗚咽していたそうです。
もっと、子供と一緒に過ごしたかった、もっと子供たちと触れ合いたかった、もっと成長を見守ってあげたかった・・・。
おそらく、彼女の気持ちはそんな思いでいっぱいだったのではないでしょうか。
今、彼女が天国で望んでいること・・・。
それは、子供たちの元に行って、抱きしめる。それだけのことかもしれない。
死んでしまった彼女には、どんなに大きなお金を支払っても、どんなに努力してもそれを叶えるすべはありません。
私は、いつもそう考えると、今目の前に自分の愛する子供がいて、抱きしめ、一緒にそばにいられるだけで、どれだけ幸せかを感じることができます。
どんな苦しみも乗り越えることができます。
今を幸せに感じられるもう一つの出来事
死別・・・。これは、子供との間を引き裂かれ、苦痛以外のなにものでもありません。
私の友人は、出産直後に一度だけ我が子を抱きしめたあとに、亡くなりました。
原因は妊娠中毒症による脳溢血だったようです。
出産という大きなイベントと最愛の息子との初対面のあと、ちょっと疲れたから寝るね・・・・。
その言葉とたった一枚の息子との写真を残して、彼女は天国に行きました。
不妊治療の末にやっと妊娠、出産にこぎつけたのに・・・・。
彼女の気持ちを思うと、どれだけ息子に伝えたいことがたくさんあるだろう。
やり残したことがたくさんあっただろうか。
そう思わずにはいられません。
育児という苦しさや辛さを味わえるのは、今ここに子供たちと一緒に生活できる今があるから
もし、今自分が天国にいて、目の前の子供たちに触れ合うことができないとしたら・・・・。
そんなことを考えたことがある人は少ないのではないでしょうか。
命は無限ではなく、有限です。
今こうして、あたりまえに怒ったり、泣いたり、悩んだりできるのも、今生きているからだということです。
もし、苦しくて辛くいときは、亡くなった彼女たちの今の気持ちを考えてみてほしいと思います。
きっと、生きてたった一度でも子供たちを抱きしめてあげられたなら、なにもいらない・・・。
そう思うはずではないでしょうか。
まるで地獄だった不妊という苦しみ
子供を持ちたいのに、持てない。
そんな苦しい経験ををされたことは、少なくないと思います。
私もすでの一人子供を持ちながらも、2人目不妊で5年間苦しんだ経験があります。
一人子供がいるのに、不妊で悩むなんて贅沢だ・・・。
まだ一人もお子さんを授かっていない人にとっては、そう感じられるかもしれませんが、私にとってはとても重く苦しい期間でした。
保育所やベビーカーにのった小さな赤ちゃんを見れば、涙が知らずに溢れてくるし、友人の妊娠や出産の報告には、顔が引きつって心から喜ぶことができないのです。
子供を持ちたいけど、持てない人の苦しみは、言葉では言い尽くせない苦しみがあります。
私は、今まで生きてきて、あんなに苦しい時期は他にはなかったと思えるほど、苦しい時期に感じました。
だから、育児をしていてどんなに辛いことがあっても、今目の前に愛する子供の存在があるだけで、幸せだし、なんの苦しみも悩みも嘘のように消えていってしまいます。
もちろん、育児という期間も無限ではなく、いつかは大きくなって自分の元から巣立っていってしまいます。
だから、今ちょっとした苦しみ、つらさもかけがえのない時間なんだな・・・。
そう思って、一日一日を大切に過ごしていきたい・・・・。そう思っています。
母親になれたこと、母親でいつづけられること、
これはお金では買うことのできない、最高の私の宝物です。

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