
人間は誰でも何も知らない、何もできない状態で生まれてくる。
それを一つ一つ成長に合わせて教え、少しずつ色々なことができるように、
導いてあげるのが親の役目だ。
これは、あるユダヤ人に「なぜ子どもを叱らないのか?」と質問したときの答えです。
本当に基本的で、分かりきったことでありながら、実行することが難しいことのように感じます。
仕事で疲れて帰り、家事と育児で精一杯。
勉強させなくちゃ。宿題やったかしら?そんなことに気を取られ、
子供とじっくり一対一で向き合ってあげることが出来ていなかった自分に深く反省しています。
子供にはそれぞれ個性が違い、得手・不得手があるし、興味を持つ対象もさまざまです。
一度教えてわかる子もいれば、三度目でやっとできる子もいるわけです。
大人の私たちですら、数多くの失敗を乗り越えて成長していくわけです。
子供が失敗したり、間違えたりするのは自然の姿であることを理解し、
教え導くことが大人の役目であることを深く認識しなくてはならないと思います。
日本人の親が多くしている「叱咤激励」とは反対の
「子供が理解できるようになるまで辛抱強く教え、待つ」
この言葉を胸に刻んで、子育てをしていきたいと思います。
叱られる子供の心を理解しよう。
あるアジア系のお母さんが、靴の左右を履き違えていた幼稚園の子供に対して、
「まあ!また靴を取り違えて。ダメじゃないの、何度いったらわかるの!」
と、乱暴に靴を脱がし、履かせ直していたそうです。
深い意図はないにせよ、私たちも日々の生活でこのような行動はしてしまいがちだと思います。
しかし、これが子供にとっては心に大きな傷を残すことにもなりかねません。
「お母さんはいつも私を叱ってばかりで、私のことが好きではないのだ。」
「私って、いつも叱られてばかりで、ダメな子なんだ。」
そう感じてしまうのですね。
ユダヤ人のお母さんは、この光景を見て不思議でたまらなかったそうです。
どうして、いとおしくてたまらない我が子に、
まるで憎くてたまらないような口調で接することができるのか。
このお母さんは、子供が服を着たり脱がせたりするときは、まだ赤ちゃんの時から、
「はい、こっちが右手ですよ、右手から着ますよ、今度は左手ですよ。」
靴は、「これが右足用ですよ」などと言いながら履かせたの。
そう言っていたそうです。
子供がまだ乳幼児の時から、親が何かしてあげる時に、ちょっとした言葉を一言、二言多く言うだけで、
子供は自然に多くのことを覚え、理解できるようになります。
それをしないで育ててから、出来ない子どもを攻めるのは、親として失格ですよね。
ひとつひとつ、ゆっくりと、丁寧に、子供の心を見つめながら、
大切な心の新芽を傷つけないように、大きく育てて行くことが本当に大切だと感じました。

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